これからの生き方の大事なことで、天動説と地動説という生き方があります。
これはとある理論で聞いた話です。
今回はボクが思った事も入れてお伝えします。
天動説は「他が主」とした今までの時代の生き方です。
他が主ですから、自分よりも他が大事にされている事になります。
そして、自分を出そうものなら、他から抑えつけられたりもします。
別の観点から見ると、他に好かれていれば、与えられた範囲内で不自由せずに生きていけた訳です。
別の観点から見れば、善し悪しは置いといて依存しあってれば、苦労はあれど何とかなってた部分もあるかと思います。
ですから自分が無い感覚の人が結構いる訳です。
地動説は「自分が主」としたこれからの生き方となります。
まぁ、いわゆる、「自分の人生は、無意識的にも意識的にも自分が選択した結果、故に100%自己責任」という生き方になりますね。
100%自己責任というと重い感じもしますが、絶対自由ということに繋がります。
まぁ、とにかく自分の自由でいて良い訳ですね。
ただし何かあっても自分の責任としていくことになります。
ここまでの内容なら、最近良く聞いたり、本とかにも書いているような内容に思いますね、ボクもそうでしたから。
でも、100%自己責任とできない自分がいて、そうできないのは何故だろうとなり、同じところをグルグルと回り始めるのでした。
100%自己責任とできないのは、自分のどこに問題があるのか?
自分の問題探しを始めるパターンに入ったりします。
こういうことに対して、ボクは、感謝・愛情・優しさ・受容・許し・認める・繋がりなど、出せばきりがないですが、こういった事が自分に足りないということで、そういうものを補おうと努力してきた訳です。
でも結局これは、「足りていない」という前提で、自分を責める方向に行きがちでした。
すると不思議なもので、なぜかまた、上手くいかないのは他のせいにしている自分が出てくるのです。
そして、身近にいる人にあーだこーだと講釈をたれては、その人を変えようとしていたのです。
長い間こういう自分に付き合ってくれてた人がいたのですが、今思えばその人に本当に悪いことをしてたなと反省しています…。
こんな感じで、同じところをグルグル回っていたある日に思いました。
そもそも自分に問題はそんなにあるのか?
なぜこんなに自分の問題や嫌なとこばかり探さないといけないのか?
そんなに自分って悪いのか?
その判断基準ってどこからきてるのか?
結局ですね、自分を皆が理想とする全体像にはめ込もうとしていたことに気づきました。
今のところ自己改革では当たり前なプロセスも、「他(外側)が主」を前提に説いていたのです。
上記のような思考は、一般的には普通なのでしょうけどね。
他が主な方法ですから、なかなか求める結果が得られないわけです。
いろいろ書きましたが、自分を主とした生き方ってのはどういうことかというと、誰が作ったか判らない今までの常識・価値観とそういうものに固執している人や集団から、できる限り自立して絶対自由に生きて行くということになります。
孤立しましょうってことではないですよ!
もちろん、まだ新しい時代がフル稼働した訳でないので、ボクのいう自立は難しいんですけどね。
この移行期を平穏無事に生きて行く方法ってのがありますので、ぼちぼちとそういう事も書いていきます。
良かったら見てくださいね!
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