理論を聞いていると、嫌なことはマイナスでなく少なくともゼロ以上のことと思えるようになります。
何故かというと、嫌ことが起こるのは自分がズレているというお知らせだからです。
そのズレを修正すればプラスになれる訳ですから、少なくともゼロ以上のこととなります。
トークセッションでも嫌なことが続いても、自分はダメだとか不幸だとか、落ち込まないようにとお話しさせていただきます。
また、原因を見つけようと躍起になる方もいますが、それも急いでする必要性がないこともお伝えします。
なぜならば、原因を見つける為にあれこれ考えだして、また自分で悩みの種を抱え込むからです。
それに、自分で原因が判るほど客観性をお持ちの方なら、既にある程度の問題解決法を身につけておられるはずです。
ただ自分の事って、分かっているようで分かっていないことが多いので、難しいんですけどね。
こういうことも、いろいろと自分や周囲を観察して実感していくと、分かって来て面白いんですね。
ボクも自分を通していろいろ体験しているので、トークセッションで活用しています。
これを書いている横で、腹ばい遊びをさせてた息子が自分であお向けになりました。
その瞬間を目撃して、嬉し涙が出そうになったり、声をかけると笑って反応してくれる度に、半泣きになりながらキュン死しそうだ~!と叫んでいる親バカなたむ です。
赤ちゃんは、親や人に声をかけられるだけで、全身で喜びを表現します。
たったそれだけのことが、嬉しくて楽しくて幸せなんでしょうね。
こういうピュアな感覚を大切にしたいです。
赤ちゃんや子供は、自分の身の回りの事はできませんが、生まれた環境で本能的に幸せになろうとして、自分で出来る係わり方をしているのでしょうね。
大人になるといろいろと余計なものが染みついて、このピュアな感覚を失いがちです。
今回はこんな感じのことを、ボクに起こったことを交えて書いてみました。
嫌なことが起こるというのは、自分がズレていると書いていますが、ボクもズレていたな~と思うことがありました。
9月11日は四谷での理論を聞きに行く予定だったのですが、邪魔が入り行けませんでした。
今まで自分が参加しようと思った理論のセミナーに、行けないということは無かったのですが、この日だけは無理でした。
以前から嫌な兆候があり、それでも様子を見てたのですが、今回だけはきちんとズレを修正する必要性を感じて、楽しみにしていたセミナーを断念しました。
ボクは、自分にとっての『今ここ』というのは、自分に係っている人物事場所(環境)も含まれていると思っています。
嫌なこと(不安・恐怖とか)を考え過ぎたり、嫌な人物事場所に長い時間係って自分に無理していると、自分がズレておかしくなり、いろいろとスムーズに行かなくなります。
ズレる要因は他にもありますが、今回はこんなとこで。
上記のようことなどが、複雑に絡み合う場合がほとんどですので、自分をかなり客観的に見れたりしないと、自分で自分の状況を把握するのは難しいんですけどね。
今回のボクの場合は、直接ボクの心身に何かが起こった訳でなく、環境からやってきた感じでした。
結構大変でしたが、因果関係に気づくことができて、問題部分を在るべき方向に修正できたと思います。
これでボクの中では、ゼロ以上のこととなった訳です。
今回で分かったのは、自分が今生きている環境(人物事場所)に対して、悪い意味で無関心でいてはいけないというものでした。
悪い意味での無関心になると、『自分の人生に責任を持っていない』ことになっていき、悪い意味で何も考えなくなり、人任せな人生となり、悪い依存に陥り易いのだなと改めて実感しました。
ただ、ものごとにはタイミングがあるようでして、今回このタイミングでズレを修正できたことにも意味があったと思っています。
自分の人生をどうしたいか? 今の環境(人物事場所)とどんな形で係りたいか?
これを自分で思考して、できることから実行ているか?
この辺が大切になってくる事もよくわかりました。
自分で『今ここを楽しむか、楽しめないか』、言い方を変えると『今ここが好きか嫌いか』、こんな感じの選択になっていくと思うんです。
本当は楽しみたいし・好きならば、邪魔をしている古い思考パターン(ズレ)を変えて行くし、何をやっても考えても、苦しくて 嫌いで 楽しめないのなら環境をかえるしかない、最終的にはここに行く着くのだなとも思いました。
『今ここを楽しむ』ことに意識を向けることは大切ですが、それが自己犠牲になっていないかを知ることも大切ですね。
何はともあれ、いくらかズレが修正されたので、明日9/23 荻窪での理論のセミナーには参加します。
たぶん来月は家族3人で聞きに行きます。
妻も息子も3回ほど聞いてますから、どうなっていくかが楽しみです。
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