タイトルは大袈裟なんですが、とりあえずは唄に対するボクの感覚です。
ボクの思考が異次元的になったのか、ただオヤジ化したのか、歌詞の内容が依存心丸出しなものが多いと思うようになりました。
特に、若い女の子に人気があるらしい、西野カナさんの唄はひどいと思いました。
そんなに男が傍に居ないと自分を保てないのか? と単純に思ってしまいます。
失恋した葛藤や切なさを美化したり、恋愛しましょう的な唄を歌っています。
まぁ、男にそんな依存してるような心理なら、良い恋愛はできないだろうな、
フゥ~(-。-)y-゜゜゜ って思ってしまいます…。
いや、あの、本当にスイマセン…。
でも、西野カナさんが嫌いなわけでなく、むしろ若い子を応援したい気持ちなのですが、唄を聞いてると…です。
せつない恋の歌なので、仕方ないですが、
あなたが全て、あなたが欲しい、わたしの頭はあなたでいっぱい、あなたがいると幸せ、あなたがいると本当の自分になれる、あなたにわたしを理解して欲しい…。
こんな歌詞があったかどうか知りませんが、最近はこんな感じの唄を聞くと、自分がない依存心丸出しな人だな~、と思ってしまいます…。
また、こういった唄が人気があったりすることは、多くの人の意識がどういった状況にあるかを知ることもできます。
そんなことを思っていたら、こんなことを知りました。
最近は女子高生でも彼氏からのDV被害があり、増加傾向にあるそうですね。
また、そういった年代の子供達の恋愛向けに、健全な人間関係を築く為の冊子などを国や県などが出していることを知りました。
また、目立ちたい気持ちが利用され、犯罪にあう女の子のニュースもありました。
事件にしてもDVの話にしても、自分を理解して欲しい気持ちが、望まない結果になったものと見ています。
自分を理解して欲しい気持ちが、人より目立ちたいという慾となり、慾のある繋がりを求めてしまい、慾の為にお金と身体を捧げるという自己犠牲の心理が垣間見えます。
DVも相手に何かを求め過ぎた為に、悪い共依存となった結果です。
DVに発展するまでに至るのは、自己犠牲の心理が働くからです。
自己犠牲心理の依存に見え隠れするのは、自分に価値を見いだせない寂しさや・虚しさ・怒りなどの感情です。
こういった感情は、育った環境に関係あると思っています。
例えば、育った環境に居た周囲の人達が心にゆとりがあり、それぞれができることをしているだけで、お互いの良い所を認め合える家庭環境だとします。
生まれてからそういう環境で育っていれば、自分には価値があるという感覚と、皆も同様であるという感覚が自然に身につきます。
そして学校などの集団生活の場でも、自分に対する虚しさや寂しさなどを、あまり感じることなく成長していけると思います。
このような状態では人間関係も良好になりやすく、引き寄せの法則で同じような価値観の人を引き寄せます。
もちろん、こうなったから何の葛藤なく生きていけるとは思いませんが、不要な葛藤の多くを無くせると思います。
自分の価値を周囲に認めてもらうことも大切ですが、やはり自分で自分の価値を知り認めることも非常に大切と思います。
自分で自分を認めることができないと、葛藤が生まれて嫌な気分になります。
嫌な気分を消すために、周囲との係わりで帳消しにできたとしても、それは一時的なものです。
人はどれだけ多くの人と繋がり交わっても、親密な人がいても、孤独な時間は必ずあります。
その孤独な時間に、自分がどういう心で居られるかが大切なので、自分で自分の価値を認めれるようにして、一人の時も穏やかで余裕のある心でいられるようにした方が、いろいろと楽しくやっていけると思います。
またいつもと同じ流れになりますが、全ての基礎は自分にあると思いますので、自己確立=自立を意識することは大切だと思います。
思考がオヤジ化したせいか、最近は唄を聞いてもこういった感じ方をするようになってしまいました…。
でも息子には、自分には生きている意味が価値がある、ということを自然に感じ取ってもらえるように、ボク自信がそういうことを体現していきたいなと思いました。
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