息子が寝返りのコツを掴んで楽しくなったのか、やたらと寝返りをするようになりました。
おむつを換えている時、お風呂上がりに急いで体を拭いている時、服を着せている時などなど、なんで今やる! と思う時にやってくれます。
本人はやりたいからやるだけなんでしょうけどね。
息子とのふれ合いの中で、息子の機嫌が良い時はもちろんいいのですが、機嫌が悪い時の方が良い経験になっています。
息子は何かを要求するから泣く訳ですが、言葉が喋れませんから何を要求して泣いているのか? を感覚的に知る訓練をしております。
最近はいろんな事を自分でやろうと自己主張が強くなってきたものですから、結構良い訓練になっています。
なかなか分からない時や、息子の泣き方が激しくなった時とか、息子のエネルギッシュな鳴き声に当てられてオロオロする自分が出てきて、そういう時の自分の反応や思考を客観的に分析してるといろんな気づきがあります。
何かを伝える為に泣く、その理由が分かれば息子が激しく泣くことに動揺しないですが、理由が分からないときは動揺してしまいます。
それで怒る事はないですが、知ることができれば楽しいだろうな~と思います。
自分に理解できないからという理由で、相手を理解しようとせずに一方的に相手を責め立てたり、怒ったりすることがあるかと思います。
結局のところ不和というものを招くものは、理解したり知ろうとしないことから来るのかなと思いました。
簡単な言葉にすると、理解力と認知力や現状把握力の欠落、という原因が招いた結果として不和となる場合が人間関係にはよくあります。
理解力と認知力や現状把握力の欠落というのも、周囲に対してとするのが普通でしょうが、ボクは自分の現状を把握し理解し認知する感覚力が欠落している結果、人も理解し認知できないし現状把握もできないと思っています。
よく言われますが、自分を愛せない人は人を愛せない、こういう言葉なら分かりやすいでしょうか。
理解しようとしないから理解されないし、知ろうとしないから知ってもらえない、否定するから否定される、こういう事にも繋がっていくと思います。
昔も今も、こんな単純なことが原因で不和を引き起こし、時に悲しいことが起こったりしますね。
単純なことではありますが、こういうことが繰り返されるのは、根の深い問題があります。
自分よりも他人様を大切にするように、という不健全な集合意識などの信念体系の影響があり、気づかないうちにそういう環境を選んで生まれてしまいます。
そして、生まれ育った環境で自分を否定され理解されずにいることが当たり前になり、いつの間にか自分も他人に同じ事をしている、という連鎖がまだまだあったりします。
ここでボクが言う他人とは、自分以外の人という意味で使っています。
様々な影響で、自分「を」知り理解し認識する行為を学べなかった事と、自分「で」知り理解し認識する楽しさを学べなかった事が、総合的な理解力と認知力を鈍らせて現状把握できずにいる要因だと思います。
そして自分の価値観や常識でしか人物事場所を見る事ができなくて、自分の範囲外にある場合は不安や恐怖などの対象として見たり接したりします。
不安と恐怖などの対象ですから、逃走か闘争という次元での対応が多くなってしまいます…。
こういった事がなぜかというか必然的にというか、家族や近しい関係の人とで繰り返されていたりします。
ただ、気づいて・知って・理解して、広い視野で現状を把握することで回避できるのに、それをやろうとしないもしくはこういう考えにもいきつかない、その為に悪い方向にいってしまうもどかしい話があったりします。
ここで補足させていただくと、知って理解して、どんな人でも受け入れましょうと言っているのではなく、知って理解するだけで流れを変えれるという意図で書いています。
知って理解して現状把握した時には、今まで良い人と思っていた人が、実は腹が超ドス黒くて邪念欲で自分に近づいていた事に気づいたりする場合もあります。
(あくまで例えの一環です)
そういう人が大好きならもっと仲良くなれば良いかと思いますが、嫌いな場合はお付き合いを考えるべきだというのがボクのスタンスです。
この辺は誤解の無いようににしておきます。
見えない世界の事もですが、日常生活でのこういうこともトークヒーリングでお話させていただいております。
お悩み相談でもスピ的なことでも、いろんなことに対応していますので、お気軽にご利用ください。
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