昨日は久しぶりに恩人様が、わざわざ誕生日のお祝いの電話をしてくれました。
いろいろお話しておりましたが、エゴの形成に係るものが見えたような気がしました。
恩人様とボクの共通している考えとして、心の問題の大部分は今生に生まれてから着けたもので、過去世の問題はあまり関係ないというところです。
もちろん過去世の影響が大きい場合もありますが、だいたいの場合それは別のところで作用しており、心の問題とは別のところにある場合が多いと思っています。
心の問題の多くは、生まれてから育った環境である家庭にあると思っています。
生まれた時から、自分を無条件に理解して受け入れてくれる環境で育てば、自然に自分は理解されて認められているという感覚が身につき、大人になっても必要以上に理解して認められたい欲求が出る事はあまり無いと思います。
また、人を理解し認めることも自然に身についていきます。
こういう環境では褒められることも頻繁にあると思います。
何かすれば褒められるので好奇心が旺盛になり、知り・理解しようとすることも身についていくのかなと思います。
心理学とかでも言われていることかと思います。
残念ながらそういった環境で育てなかった場合、知り理解して欲しかったという欲求と、やり場のない怒りが心のどこかに根強く残ります。
また、褒められるより怒られることが多くなるので、自発的に何かをすることに否定的イメージが出来上がり、何かして知る・行動して結果を得ることが困難になる場合があります。
それらが自己否定感になったり、周囲を否定するものを創り上げていくことになります。
こういったものがトラウマ的記憶となり、愛されたい、知り理解されたいという欲求と満たされない怒りになっていきます。
やり場の無いそういったものを、自分には価値が無いからだという否定的なものを創り上げて、愛される為に気に入られなければならない、良い子でいないといけないという、間違った信念体系を創り上げていきます。
子供の場合、親に気に入られるか否かは命に係る問題になるので、器用な子は良い子を演じ、そうでない子は怒られ続けていき、自分を守る為に感情に蓋をしていきます。
しかし、子供特有の目先の楽しい事に意識を向ける能力が、意識のフォーカス先をズラしていくことに繋がり、個人差はありますがある程度の年齢まではやり過ごすことができる場合が多かったりします。
こういった中で、押さえつけている感情をカバーする為に形成されていく人格が、エゴの正体のひとつとなると思います。
愛されなかったから誰からも愛される人になりたい、否定されてきたから何事にも興味を持てないし持たない、こうあるべきだと言われてきたのでそうあるべきと信じてきた、などなど。
そしていろんな環境で自分を保つために、更に新しいカバーというエゴをまとって行き、元の原因が何層ものカバーの奥にしまい込まれて行きます。
ただ、何層のカバーをつけようとも、それらは根本原因である幼少期に愛され認められなかった事への欲求と怒りから着けたものであるために、表面上の問題を解決しようとしても、奥底から満たされない感情が湧き出てきます。
トラウマの記憶をカバーする為に形成されたエゴは、自分への否定的イメージから来ていますので、簡単に愛されなかったことから来る欲求と怒りを認めようとしません。
認めるということは、自分への否定的イメージを認める事になり、まさに自我(エゴ)の崩壊となるからでしょう。
ですから、エゴを刺激するような事が起こると、逃走か闘争というような反射的反応が起こり、体に違和感が出てきたりします。
そして、問題の核心部分になかなかアクセスすることができずに、欲求を満たす為に様々な行為に奔走します。
やたらと人を支配しコントロールしようとするのも、根本部分にある欲求や怒りを満たす為の行為となります。
普通に考えてみても、自分が満たされて心に余裕のある状態ならば、必要以上に人に干渉しようとしないですからね。
いろんなものをジプシーするのも、何かに触れて一時的に自分を満たすことでそういった欲求をクールダウンさせている場合があったりします。
ちょっと心理学的なアプローチのブログになりましたが、こういったことから自分を知り理解することが、エゴというカバーやフィルターを取り除く最短で効果のあるものではないかなと思っています。
恩人様は、こういったエゴやフィルターを知り外すメソッドをたくさん知っており、スピ的知覚能力もあるのでそういった視点からもいろいろ話ができます。
また、パワーストーンの事も良く知っています。
来月辺りに恩人様を招いてのお茶会とか出来たら良いな~と思っています。
興味のある方はお問い合わせくださいね。
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