本題の前に少々親バカ日記です^^;
息子が2週間前辺りから本格的につかまり立ちを始めました!
起きてる間はできる限り立とうとして頑張っています。
嬉しいのは、立つ為にボクや妻を起点にしようと嬉しそうに来てくれるところです^^
つたい歩きも少しずつやり始めて、歩行器に乗ってもぐんぐん前進できるようになり、嬉しさと可愛さに目と鼻の下が垂れ下がってします。
小柄なボクでも、息子にすれば大きいようで、ジャングルジムのように扱われています^^
毎回同じ事を書きますが、そういう息子を見ていると、成長することにできない・無理という概念は無いんだな~と感心します。
できるという概念もないのでしょうが、ただ自分のやりたいことを一生懸命にやっている姿に、余計な葛藤を浄化してもらっているように思います。
ブログの本題ですが、一番良くない依存についてのインスピレーションがありました。
非言語的な信号を解凍して行くと、依存している自分(セルフイメージ)に依存していることが一番問題であるというものでした。
人は生まれてから様々な人・もの・事・場所に依存していき、そういった中で経験したことなどを基に自分らしさ・エゴをつくり、それをセルフイメージとしていきます。
そのセルフイメージに依存しているのが一番の問題ということです。
人は変化を拒む為の肯定的な思考(言い訳)をすることは得意です。
できない理由、やらない理由、否定する理由、良くない意味での自己正当化に依存しているという意味だと思います。
依存というとイメージ的に、人・もの・事・場所など自分以外にも問題の比重がある感じですが、結局はそれらに依存する自分を正当化しているセルフイメージに依存していることが一番問題なのだな~と、情報を解凍しながら思った次第です。
そういうことを考えると、執着とか葛藤とか過度の後悔とか苦しみとか、そういった問題に自分で依存しているだけで、それらは過去にあるものなので単に過去に依存しているだけなんだと思いました。
執着とは過去への強い思いであり、そこにあるのは過度な後悔の念で、過度な後悔にあるのは、あの時こうしてたら・こうであればなどの たられば思考で、それらが葛藤になり、そういう事を思考しているとある意味で集中することになるので、何かしら思考しているので、何かやっている気分になれます。
ただ、ちょっとネガティブな方向に行きやすく、独り善がりになり易いので、何かしら嫌なことが起こり易くなります。
嫌な気分になることが起こるのは、何かしら自分がおかしい状態なので、こういう流れができることに納得ができます。
それはそれで良いのでしょうが、集中力というエネルギーの向け先を今ここからに変えた方がより心地良くなれるでしょうね^^
パッと入ってくるインスピレーションを解凍して、自分でりかいして、多くの人に分かりやすい言葉に変換するという日々になってきております。
ちょっと今回は難しい感じでした。
ここで宣伝ですが、サロン1周年記念キャンペーンを実施しています。
各メニュー特別料金になっておりますので、この機会に是非ご利用くださいね^^
コメントをお書きください